この詩集は、平成26年(2014)9月、わが会「平塚ゆかりの作家 中勘助を知る会」が発行した「詩集 中さんの散歩道『しづかな流』より」に掲載した詩から選択したものです。
 
わが会の初代会長 文芸評論家 故尾島政雄氏は、 中勘助は作家であり、詩人であると話されておりました。
 

『しづかな流』には別稿を含め、詩191編が収載されており、生涯で平塚時代一番多くの詩を遺しております。

             詩  「たなばた」
 
   「おほかたを 思えばゆかし 天の川けふの逢瀬は うらやましけれ」  紫 式部
 
 柿本人麻呂、大伴家持、紀 貫之、和泉式部、西行、藤原定家など古代から中世にかけ、多くの歌人が七月七日の夜、天の川で牽牛と織姫星が出会うという雄大なロマンチックな物語をモチーフにした和歌を多く残しています。 その時代の夜空は街でも星がこぼれるように見えたそうです。
 
 中さんが詠んだ「たなばた」の歌から二十五年後、平塚では戦火の焼野原から街が立ち直り、その復興を祝った翌年、昭和二十六年より七夕まつりが始まりました。 現在では、仙台と共に日本を代表する七夕まつりとなりました。 平塚は飾りの豪華さと夜景の美しさが特徴です。
    詩  「夜にして海べにたてば」
                詩  「瑠璃鳥」
 
 ・・まはりの林に朝を迎える小鳥たち、雀や、鶏や、雲雀など、ききなれた囀りのなかになにかひとつきはだってほがらかな声がきこえたやうな気がした。 私は手を休めて聞き耳をたてたがそれなり聞こえないのでちょっと そら耳かしら と思った。 と、また聞こえた。 瑠璃だ! まだかた言みたいに二声三声鳴くのだが、声でわかる。
 
それにそうした可愛いかた言もちゃんとききおぼえがあるのだ。 その声は遠くなり近くなりしながら松のあひだをさまよってゐる。 私はそはそはして、見えまいと思ひながらも林のなかをすかして見たりした。 私がはじめてこの鳥をきいたのは、十五年も昔のこと、・・       ※オオルリ 撮影/岡根 武彦氏
        詩  「書斎の窓のした」
 
 「櫺子格子」
「連子格子」とも。 細い角材を縦に並べ、その格子間の空きを格子の見付き寸法の1~3倍ほどとった格子。 建物内部の採光と通風を確保し、外部からの侵入と視界を制限できる。
               詩  「帽子」

    相州 平塚海岸通り 大正十年  写真提供/大磯町郷土資料館

 
 中さんがこの道をへろへろ帽子をかぶり歩いている姿を思い浮かべます。