詩  「はうれん草」
「野菜売り」 
近在の農家のお爺さんやお婆さんが別荘に野菜を売りに来ていたようです。 中さんはそのお爺さんやお婆さんとの会話を楽しみ、野菜を買っています。
「ぬかぼや青蜆を媼が売りにきてこの日は嬉しかった」と云う短歌もあります。 また、家ではなく夕方畑道を散歩していると、向こうから土瓶を片手で持ち鍬を肩に掛け、蕪を背負った爺さんがやってきた。 まるで大黒様だ。 掘りたての見事な大蕪、今晩の酒の肴に良い。 一束二分なら良い。 と云う「かぶら」と云う詩もあります。
 
夕方茶の間に座っていたら生垣越しに襤褸を着た大きな籠を背負った婆さんが「働き手がないので、子供とこんなことしているんだが、これから二里田舎へ帰るので、芹を三把買っとくなさいね」 芹を知らないと思って芹の注釈や料理の仕方を教えていった。 と云う文もあります。
 
ほうれん草(あかざ科) JA湘南より抜粋
ポパイのほうれん草は誇張だが、ビタミンAをはじめ栄養価の高い野菜。 平塚では周年栽培を行い、重点作物として特に力を入れている。 
                 詩  「蓑虫」
  
「蓑虫」 
植木屋が庭木の枝をすかしたため、虫たちがあわてふためいていました。 中さんは茶の間の縁側に立ってさばさばした「もちの木」や「もっこく」を眺めていました。 ふと、椎の葉から一匹の蓑虫が糸をひいてぶらさがるのを見つけました。
 
一生懸命苦労して糸をたぐりよせ、登り切ったと思ったらまたすーっと糸をはいてぶら下がった。 と、またも登りはじめた。 中さんはあきれた。 とんと気がしれない。 愚かしい苦行により梵天(仏教では守護神)に生まれようとしているのか。 この詩を溝上日出夫先生が合唱曲に作曲されています。
               詩  「野は春ぞ」
 
       撮影/ 落合伸次氏
「山やまの雪はれて」
山やまは大山丹沢、或いは箱根連山でしょうか、今でも三月に雪が降ることがあります。 春の喜びを詠った詩ですね。
『しづかな流』は日記体随筆と云われています。 記述した日が一部「某月某日」とありますが、ほとんどの年月日が分かります。
              詩  「松葉かき」
  
 
 ・・やうやく川近い小路にうつらうとするあたりの松のなかに、あらい縞をきて姉さんかぶりをした女が襷をかけた華奢な体のわりには大きすぎる熊手を使って落葉をかいてゐた。
色の白いなか高の顔が鋭くはならぬほどにキリッとしまってゐる。 彼女はひょいとこちらを見たが、そこから先の砂地を厭って逡ってる私を見まはりの者とでも思ったのかそこそこに籠を背負ひ、熊手をさげてさっさと帰っていった。 松葉はまだ籠にみちてゐなかった。 私はなにかすまないことをしたやうな気になった。
初茸や松露の季節もすぎたので彼らは落葉をかき、小枝を折り、松かさを拾ひなどして焚きものにするのである。
             詩  「時化すぎて」
 
 台風一過、昨夜の台風が去り、ひと安心。 海辺に立つとゴーゴーと波が吠えています。 雲一つない青空に箱根の連山、伊豆の山々、大島がくっきり見えることがあります。
「時化」とは、風雨で海が荒れること。(波高が四メートルを超えた状態。 六メートルを超えると大時化、九メートルを超えると猛烈に時化ている状態) 海が荒れ魚が捕れないこと。 そのことから興業などで客入りが悪いこと。 商品の売れ行きが悪いことなどに使われています。 
              詩  「おでん」
【平塚八幡宮】
「鶴峯山八幡宮」と云われ、相模国八幡庄総鎮守。 社伝によると、四世紀ごろに創祀されて、平安時代(1087)飛騨国大野郡山口村(現在の高山市山口)に当社の御分霊を勧進。 この縁もあり平塚市と高山市が友好都市を締結した。 建久三年(1192)源頼朝は妻政子の安産祈願のため神馬を奉献。 〔平塚市郷土誌事典抜粋、友好都市記載〕
 
             詩  「高麗寺の市」
高麗寺祭 農具市 昭和30年頃  提供/ 大磯町郷土資料館 
【高麗寺祭】
江戸時代寛永年間の頃に始まる。 旧暦三月十八日に農具や種物の市を開催。 由来では、御霊を神輿で山頂の上社に担ぎ上げるのは、市の騒がしさを避けるためとのこと。〔大磯町産業観光課資料〕
この詩は四月十八日に書かれたものです。 現在は主に植木市ですが以前は農具や種物などの市だったんですね。
『しづかな流』にはこの詩のように調子の良い楽しい詩がいくつもあります。
☆★☆ その他 下記項目(ページ:頁)で詩を掲載しております。
平塚時代: 「名もなき思い」「なでしこ」「ほほじろの声」「 朝網」「尼さんかわいや」
中さんの人柄・平塚での著作:  「塩鮭」
読書会:  「タゴ」「鷺」
このホームページには、合計20編の詩が収載してあります。